選択理論 

選択理論を読み進めていくうちに、やはり原文は、どう書かれているのかが、非常にきになりました。
使用されている「言葉」を「みる」ことにより、より一層イメージを捉えやすいと考えたからでしょうか。

さっそく、The William Glasser Institute ウィリアム・グラッサー協会 http://www.wglasser.com/ から、再確認したいと思います。

6/24エントリー 「セオリー3」から  選択理論:アチーブメント出版
       ・外的コントロールとは
             強制・無理強い・罰・報奨
             あやつる・いばる・動機付ける
             批判する・責め
             文句をいう・ガミガミいう・うるさくい
             格付けする・比較する
             ひきこもることをやめさせる

これは、つぎのような表現が使われています。

        external control psychology ・・・外的コントロールの心理 
              Seven Deadly Habits ・・・7つの致命的な習慣
              ・Criticizing・・・批難
              ・Blaming・・・責任を負わせる
              ・Complaining・・・不満をいう
              ・Nagging・・・口やかましい 、しつこい、やっかいな
              ・Threatening・・・脅す
              ・Punishing・・・罰
              ・Bribing or rewarding to control・・・制御へ買収するか, または報酬を与 えること

批判するには、Criticizeの意味でした。つまり非難することです。
commentは、時事問題の批評のほかに、「世間のうわさ話、取りざたにする」という意味もありますね。
これからは、「批難(とがめる)」とすることします。

なぜ、このような原文に使用されている言葉へ執着したのかというと、ほんの言葉の差異で、受け取る側が「私的」になるのですね。
そして、「私的」にものごとを理解し適当にあてはめると、さらに差異を生むのです。
受け取り方の差異が生じやすい例が、「3・4・3の法則」や「マズローの欲求」などです。
経営セミナーなどで、その理論を応用した「モデル」を、そのまま理論と受け取ったり、マズローの欲求に関しても、5段階説だけだと思い込んでしまう傾向です。
たとえば、マズローの欲求は、テーマによって6段階以上の説も必要になります。
5段階説は、新人から中間管理職でのモチベーションのほか、マーケティングの一部などに用いられることがあります。

ですから、この記録を目にする方には、なるべく差異がないようにと考えています。
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# by t88manekineko | 2005-07-24 21:14 | 心理分析

生存の欲求

気分が悪いときには何が満たされず
気分が良いときにな何が満たされているのか

選択理論の「欲求」は、この「何が満たされているのか」を理解することです。
ただし、選択理論では、病気や貧困、高齢を除いた状態であることを再確認してください。

つまり社会行為に焦点を当てています。
アメリカでは、若い世代が銃撃事件で多く死亡しています。(戦死者はどうなのでしょうか・・・)
お互いがもっと良い関係であれば、死なずにすむわけだと、人間関係の構築を示唆しているのです。(戦争はどうなのでしょう)

さて、「シゴトにつかない人」は生存の欲求がとても低いとされていいます。
・自分のために何かをする気持ちがない
・他人のために何かをすることはない
・自由の欲求が強い
・愛を受ける能力がある
・躁鬱病を繰り返す

ここでは、日本、アメリカ、ヨーロッパの社会背景、教育背景、貧困などの「シゴトにつけない環境」を除いています。

生存欲求の低いとされている「シゴトにつかない人々」について述べているのは、欲求の強弱が、好ましくない人間関係を築きやすいとされているそうです。このように分類された人々とは(「シゴトにつけない環境」を除いています。)、人とのかかわりの中で、選択してはいけないという解釈をしました。

少し、選択理論から離れてみましょう。
グランファルーン=「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」という言葉をご存知でしょうか。

一種のコミュニティですね。
コミュニティもたくさんの種類があります。

IT関連
・コミュニティサイト
関心や興味を共有する人々、あるいは属性があつまる、情報交換などのコミュニケーションを中心としたWebサイト
・コミュニティ・オブ・プラクティスcommunities of practice :CoP
ある分野における知識の習得や研鑽、あるいは知識を生み出すといった活動のために、持続的な相互交流を行っている人々の集団のこと。

環境
・コミュニティーフォレストリー
森林管理手法のひとつで、森林の管理を地域住民の参加によって行い、そこで得られる利益などを住民に分配するという方式。

地域
・居住地や営みを共にすることで営まれる共同体のことで、地域コミュニティは、「地域社会」「近隣社会」

マーケティング
・コミュニティマーケティング
所属する社会基盤の異なる人々、あるいは顧客の属性の口コミによるネットワーク戦略
・ファンサイト・マーケティング

まだまだあります。
ここで最初のグランファルーンを用いたいと思います。

グランファルーンとは、出身地、出身校が同じであるとか、興味・関心ごと、趣味、職業、年齢、暮らしのスタイル、思考、悩みなど、同じ属性に連帯意識が生まれ、仲間意識を持たせ、規律をつくり、当然それを守るべきであるとする雰囲気を作り出し、心理的な高揚感や誇らしさを演出しながら、友好的な支配関係が成立する「集団」です。仲間意識と排他意識が強まります。

コミュニティと「名」のつく共同体に、多くみられるのが「グランファルーン」
生存欲求を考えるときに、「大衆とは、無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々のことである」としたのは、スペインの哲学者ホセ・オルテガの言葉を思い出します。

安易な考え方、自己が満たされているという思い違いにより、自分の考える属性と、他人がみる自分の属性のギャップがあるときに、排除、追放という手段を実行しやすいコミュニティ。
周囲との共感から喜びを感じるのもつかの間、ほんの少しの差異が、遠のくきっかけにもなりやすい。

そういった狭い、あるいは広い、その「コミュニティ」とは、生存欲求の強弱を表しているのではないでしょうか。

匿名性が低い、高いは別として、ブログやSNSが、ネットワークで個人が発言するコミュニティです。そこでも、「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」が起こります。

ブログやSNSは、その個人の「生存欲求」の強弱や、人格、経歴なども伺えます。
・リンク
そのブログの関連性や仲間
・トラックバック
 トラックバックが在るだけではなく、そのトラックバックをしてくれた人物
・コメントの内容
 どんな方が、どんなコメントを残していくか
・コンテンツ

こういった「見方」をすると、そのコミュニティは「人格」で成り立っているのか、「属性」で成り立っているのかが理解できますね。

「生存欲求」とは、「居場所」の確保によって強弱がつく現代ではないでしょうか。
それが、「属性」だけで成り立っていると、人とのかかわりの中で、選択してはいけない分類になるのではないでしょうか。
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# by t88manekineko | 2005-07-18 16:25 | 心理分析

団欒

しばらく、「シゴト」に振り回されていました。
それも、木曜日にはすっかり「カタ」がつき、その日のアフターファイヴから今日の正午まで、
「家」の整理・整頓です。水ぶき、からぶき、箒の掃除など(掃除機も使いますよ)

これは、「家事」だけではなく、「団欒」も整理・整頓の項目にはいっているわけです。
「団欒」といいますと、食卓を囲む笑顔と笑い声。
そんな幸せの図式を思い浮かべるでしょうか。

私を育ててくれた「家庭」も、私が育てている「家庭」も
「団欒」とは、家族の苦悩や耐え難い悩みに気づき、本人の力で解決する修行の場です。

つまり、幼少の頃憧れていたアメリカの「ホームドラマ」ではなく
お寺での修行のような「団欒」です。

食べ物への感謝
食べるしぐさの躾
部屋が荒れていないか
服装は清潔だろうか
家事の仕方、各部屋の使い方、ノックの仕方
電話の応対、会話の仕方、姿勢、歩き方
趣味・興味、関心ごとを目で追う
いま子供はどんな「本・漫画」に夢中になっているか
どんな「ゲーム」を欲しがっているか(当時は人生ゲームなど)
子供の特性と性質を厳しく判断される「団欒」です。

私は、憧れていたアメリカの「ホームドラマ」のような家庭を創ろうと決心したわけです。

ところが
やはり、夫婦とも「親」の躾が影響されて、
笑い声や笑顔よりも、お寺の修行生活的「団欒」です。
子供の苦い顔を見ています。

子供の喜怒哀楽は、私のそれぞれの「大人」が引き受けしています。
喜・・・叔母(私の妹)
楽・・・祖父・祖母

要するに喜楽は、気楽に私たち両親以外が引き受けしてくれるのです。
(あんなに厳しかった両親は、理想的な対応です)

怒・・・両親が引き受けします。子の怒り、要求を受けるのです。
哀・・・これは「家族全員」が、子の哀を引き受けます。
怒哀は、「度合」を知り、対処する知恵を考えます。

こういった役割が分担されるのも、家族と養育する大人が多いからなのです。
核家族のご両親は、その役割を全て引き受けているのですね。

「団欒」の価値観は、社会的、家庭的、個人的の価値観によって、手法は違うと思います。
でも、共通していることが一つだけありますね。「生きることの姿勢」が生まれることです。

私の子供には、自分の家庭、友人、知人の狭い範囲だけで
夢、幸せ、喜び、楽しさ、美しさ、躍動感、創造的、創意工夫、ポジティブという「記号」だけの
「人生」を素晴らしいと考えるようになっては困るのです。

国内の各地域、各国の文化・伝統から生まれた人権問題から
「生きる」素晴らしさを制約されながら「生きる人」が「人生は」何と思うでしょうか。

また、そういった状況で「生きる」人と比較し、自分の人生を幸せと考えて欲しくありません。
それは、無意識に「差別」をしているわけです。

この頃、報道が狭くなり
少年犯罪や凶悪性、ニート問題など
思春期から若年層まで、「記号」や「感情」で論じられています。

これらの問題は、歴史です。
現代の問題ではないということです。
ただ、少年犯罪は減少しているのですが。
(昭和20年代~40年代にかけての、幼児から20代の凶悪な犯罪からは減少しています)

いま、社会が「報道」していることの歴史、真実、さまざまな意見を知り、
安易な判断から自分の幸福度や人間性を「区別」せず
「記号」や「感情」で表現せずに、資質や性質、人格で考え
それを「行動」や「表現」できる人に育ってほしいと考えています。

これは我が家の「家風」です。
「我が家」に生まれた「風土と伝統」です。
ですから、各家庭の方針や、性質、特性を象徴する「団欒」がたくさんあるわけですね。

「人生は否定するものではなく、受容すること。」
これが我が家の団欒の象徴なんですよ。
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# by t88manekineko | 2005-07-17 14:04 | 私事