Biz&キャリア
2005-07-28T22:40:51+09:00
t88manekineko
更新は週1回です。
Excite Blog
選択理論
http://lifegear.exblog.jp/2352280/
2005-07-24T21:14:06+09:00
2005-07-28T22:40:51+09:00
2005-07-24T21:12:12+09:00
t88manekineko
心理分析
使用されている「言葉」を「みる」ことにより、より一層イメージを捉えやすいと考えたからでしょうか。
さっそく、The William Glasser Institute ウィリアム・グラッサー協会 http://www.wglasser.com/ から、再確認したいと思います。
6/24エントリー 「セオリー3」から 選択理論:アチーブメント出版
・外的コントロールとは
強制・無理強い・罰・報奨
あやつる・いばる・動機付ける
批判する・責め
文句をいう・ガミガミいう・うるさくい
格付けする・比較する
ひきこもることをやめさせる
これは、つぎのような表現が使われています。
external control psychology ・・・外的コントロールの心理
Seven Deadly Habits ・・・7つの致命的な習慣
・Criticizing・・・批難
・Blaming・・・責任を負わせる
・Complaining・・・不満をいう
・Nagging・・・口やかましい 、しつこい、やっかいな
・Threatening・・・脅す
・Punishing・・・罰
・Bribing or rewarding to control・・・制御へ買収するか, または報酬を与 えること
批判するには、Criticizeの意味でした。つまり非難することです。
commentは、時事問題の批評のほかに、「世間のうわさ話、取りざたにする」という意味もありますね。
これからは、「批難(とがめる)」とすることします。
なぜ、このような原文に使用されている言葉へ執着したのかというと、ほんの言葉の差異で、受け取る側が「私的」になるのですね。
そして、「私的」にものごとを理解し適当にあてはめると、さらに差異を生むのです。
受け取り方の差異が生じやすい例が、「3・4・3の法則」や「マズローの欲求」などです。
経営セミナーなどで、その理論を応用した「モデル」を、そのまま理論と受け取ったり、マズローの欲求に関しても、5段階説だけだと思い込んでしまう傾向です。
たとえば、マズローの欲求は、テーマによって6段階以上の説も必要になります。
5段階説は、新人から中間管理職でのモチベーションのほか、マーケティングの一部などに用いられることがあります。
ですから、この記録を目にする方には、なるべく差異がないようにと考えています。]]>
生存の欲求
http://lifegear.exblog.jp/2306469/
2005-07-18T16:25:19+09:00
2005-07-28T22:38:31+09:00
2005-07-18T16:23:22+09:00
t88manekineko
心理分析
気分が良いときにな何が満たされているのか
選択理論の「欲求」は、この「何が満たされているのか」を理解することです。
ただし、選択理論では、病気や貧困、高齢を除いた状態であることを再確認してください。
つまり社会行為に焦点を当てています。
アメリカでは、若い世代が銃撃事件で多く死亡しています。(戦死者はどうなのでしょうか・・・)
お互いがもっと良い関係であれば、死なずにすむわけだと、人間関係の構築を示唆しているのです。(戦争はどうなのでしょう)
さて、「シゴトにつかない人」は生存の欲求がとても低いとされていいます。
・自分のために何かをする気持ちがない
・他人のために何かをすることはない
・自由の欲求が強い
・愛を受ける能力がある
・躁鬱病を繰り返す
ここでは、日本、アメリカ、ヨーロッパの社会背景、教育背景、貧困などの「シゴトにつけない環境」を除いています。
生存欲求の低いとされている「シゴトにつかない人々」について述べているのは、欲求の強弱が、好ましくない人間関係を築きやすいとされているそうです。このように分類された人々とは(「シゴトにつけない環境」を除いています。)、人とのかかわりの中で、選択してはいけないという解釈をしました。
少し、選択理論から離れてみましょう。
グランファルーン=「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」という言葉をご存知でしょうか。
一種のコミュニティですね。
コミュニティもたくさんの種類があります。
IT関連
・コミュニティサイト
関心や興味を共有する人々、あるいは属性があつまる、情報交換などのコミュニケーションを中心としたWebサイト
・コミュニティ・オブ・プラクティスcommunities of practice :CoP
ある分野における知識の習得や研鑽、あるいは知識を生み出すといった活動のために、持続的な相互交流を行っている人々の集団のこと。
環境
・コミュニティーフォレストリー
森林管理手法のひとつで、森林の管理を地域住民の参加によって行い、そこで得られる利益などを住民に分配するという方式。
地域
・居住地や営みを共にすることで営まれる共同体のことで、地域コミュニティは、「地域社会」「近隣社会」
マーケティング
・コミュニティマーケティング
所属する社会基盤の異なる人々、あるいは顧客の属性の口コミによるネットワーク戦略
・ファンサイト・マーケティング
まだまだあります。
ここで最初のグランファルーンを用いたいと思います。
グランファルーンとは、出身地、出身校が同じであるとか、興味・関心ごと、趣味、職業、年齢、暮らしのスタイル、思考、悩みなど、同じ属性に連帯意識が生まれ、仲間意識を持たせ、規律をつくり、当然それを守るべきであるとする雰囲気を作り出し、心理的な高揚感や誇らしさを演出しながら、友好的な支配関係が成立する「集団」です。仲間意識と排他意識が強まります。
コミュニティと「名」のつく共同体に、多くみられるのが「グランファルーン」
生存欲求を考えるときに、「大衆とは、無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々のことである」としたのは、スペインの哲学者ホセ・オルテガの言葉を思い出します。
安易な考え方、自己が満たされているという思い違いにより、自分の考える属性と、他人がみる自分の属性のギャップがあるときに、排除、追放という手段を実行しやすいコミュニティ。
周囲との共感から喜びを感じるのもつかの間、ほんの少しの差異が、遠のくきっかけにもなりやすい。
そういった狭い、あるいは広い、その「コミュニティ」とは、生存欲求の強弱を表しているのではないでしょうか。
匿名性が低い、高いは別として、ブログやSNSが、ネットワークで個人が発言するコミュニティです。そこでも、「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」が起こります。
ブログやSNSは、その個人の「生存欲求」の強弱や、人格、経歴なども伺えます。
・リンク
そのブログの関連性や仲間
・トラックバック
トラックバックが在るだけではなく、そのトラックバックをしてくれた人物
・コメントの内容
どんな方が、どんなコメントを残していくか
・コンテンツ
こういった「見方」をすると、そのコミュニティは「人格」で成り立っているのか、「属性」で成り立っているのかが理解できますね。
「生存欲求」とは、「居場所」の確保によって強弱がつく現代ではないでしょうか。
それが、「属性」だけで成り立っていると、人とのかかわりの中で、選択してはいけない分類になるのではないでしょうか。]]>
団欒
http://lifegear.exblog.jp/2298513/
2005-07-17T14:04:13+09:00
2005-07-17T14:13:30+09:00
2005-07-17T14:02:41+09:00
t88manekineko
私事
それも、木曜日にはすっかり「カタ」がつき、その日のアフターファイヴから今日の正午まで、
「家」の整理・整頓です。水ぶき、からぶき、箒の掃除など(掃除機も使いますよ)
これは、「家事」だけではなく、「団欒」も整理・整頓の項目にはいっているわけです。
「団欒」といいますと、食卓を囲む笑顔と笑い声。
そんな幸せの図式を思い浮かべるでしょうか。
私を育ててくれた「家庭」も、私が育てている「家庭」も
「団欒」とは、家族の苦悩や耐え難い悩みに気づき、本人の力で解決する修行の場です。
つまり、幼少の頃憧れていたアメリカの「ホームドラマ」ではなく
お寺での修行のような「団欒」です。
食べ物への感謝
食べるしぐさの躾
部屋が荒れていないか
服装は清潔だろうか
家事の仕方、各部屋の使い方、ノックの仕方
電話の応対、会話の仕方、姿勢、歩き方
趣味・興味、関心ごとを目で追う
いま子供はどんな「本・漫画」に夢中になっているか
どんな「ゲーム」を欲しがっているか(当時は人生ゲームなど)
子供の特性と性質を厳しく判断される「団欒」です。
私は、憧れていたアメリカの「ホームドラマ」のような家庭を創ろうと決心したわけです。
ところが
やはり、夫婦とも「親」の躾が影響されて、
笑い声や笑顔よりも、お寺の修行生活的「団欒」です。
子供の苦い顔を見ています。
子供の喜怒哀楽は、私のそれぞれの「大人」が引き受けしています。
喜・・・叔母(私の妹)
楽・・・祖父・祖母
要するに喜楽は、気楽に私たち両親以外が引き受けしてくれるのです。
(あんなに厳しかった両親は、理想的な対応です)
怒・・・両親が引き受けします。子の怒り、要求を受けるのです。
哀・・・これは「家族全員」が、子の哀を引き受けます。
怒哀は、「度合」を知り、対処する知恵を考えます。
こういった役割が分担されるのも、家族と養育する大人が多いからなのです。
核家族のご両親は、その役割を全て引き受けているのですね。
「団欒」の価値観は、社会的、家庭的、個人的の価値観によって、手法は違うと思います。
でも、共通していることが一つだけありますね。「生きることの姿勢」が生まれることです。
私の子供には、自分の家庭、友人、知人の狭い範囲だけで
夢、幸せ、喜び、楽しさ、美しさ、躍動感、創造的、創意工夫、ポジティブという「記号」だけの
「人生」を素晴らしいと考えるようになっては困るのです。
国内の各地域、各国の文化・伝統から生まれた人権問題から
「生きる」素晴らしさを制約されながら「生きる人」が「人生は」何と思うでしょうか。
また、そういった状況で「生きる」人と比較し、自分の人生を幸せと考えて欲しくありません。
それは、無意識に「差別」をしているわけです。
この頃、報道が狭くなり
少年犯罪や凶悪性、ニート問題など
思春期から若年層まで、「記号」や「感情」で論じられています。
これらの問題は、歴史です。
現代の問題ではないということです。
ただ、少年犯罪は減少しているのですが。
(昭和20年代~40年代にかけての、幼児から20代の凶悪な犯罪からは減少しています)
いま、社会が「報道」していることの歴史、真実、さまざまな意見を知り、
安易な判断から自分の幸福度や人間性を「区別」せず
「記号」や「感情」で表現せずに、資質や性質、人格で考え
それを「行動」や「表現」できる人に育ってほしいと考えています。
これは我が家の「家風」です。
「我が家」に生まれた「風土と伝統」です。
ですから、各家庭の方針や、性質、特性を象徴する「団欒」がたくさんあるわけですね。
「人生は否定するものではなく、受容すること。」
これが我が家の団欒の象徴なんですよ。]]>
Re:値するもの genuine
http://lifegear.exblog.jp/2233780/
2005-07-08T16:21:03+09:00
2005-07-28T22:35:26+09:00
2005-07-08T16:19:22+09:00
t88manekineko
キャリアコンサルタント
また、コメントを寄せてくださった方だけではなく、読んで下さっている方にも、ぜひ目を通していただきたいです。
(選択理論は、次のエントリーになります。)
真摯、全力を引き出すものは、個人の価値観、育った環境や社会観、健康の状態で、引き出しが違ってくるケースがあります。(要素はこれだけではありません)
ですから、「引き出す・引き出される」、あるいは「相手の琴線に触れる」ことなどのコミュニケーションはひとつではないですよね。
たとえ、右か左か迷って、右を選んだけれども、結局ゴールまでの過程は大差がなかったということがありますね。
まず、自分はどんな生活、あるいは周囲に、どう思われたいのでしょうか。
華やかなのか知性的なのか、人それぞれの「ほしい言葉」や周囲に求める態度も違います。
例として引き出しの種類をあげると次のようなものが。
・報酬
・自由
・仲間
・愛情
・認められる
・好きなことなどなど。
そして「誇り」という引き出しをもち、それによって「真摯」「全力」を「引き出せる人も。
それはプライドではない「誇り」です。
どんなコト(出来事、場面)に対しても、人(動物)、もの(ゴミも含め)にも隔てなく丁重に扱うことで、自分自身や自分の周囲、環境を受容する。
丁重に扱う大切なものには、魂を込めることができる。
どんな困難があっても。それが「誇り」ですね。
引き出すものの種類とは、自分の人生や性格、周囲への期待(自分は周囲からどう扱われたいの?)などの欲求を満たされることにより、自分のために、誰かのために、「ベストを尽くす」、「真摯」、「全力」という魂が誕生するのではないでしょうか。
「褒められる、認められる」ことは、大人でもうれしいものですよね。
満たされるとは、自分の望みが叶うこと。
また、望みが「全力」によって手に入るのか・あるいは無理なのか。
自分を見極める力と潔さが、成熟でしょうか。
努力は何かを叶えるものとは違うような気がします。
大人の世界では「努力はしたのですが・・・」と言い訳に使われますものね。
「値するもの」
つまり、個人も周囲も、それぞれのIdentityとEmotionに「値するものは何か」と考えて表現や行動をすると、IdentityとEmotionが常に刺激され、さらに心地よく、自然と周囲への影響も配慮され、思いが満たされるのではないかと考えます。
思いを満たす「値するもの」が、人を動かすのでしょう。]]>
選択理論 生存 1
http://lifegear.exblog.jp/2218737/
2005-07-06T16:59:21+09:00
2005-07-28T22:34:16+09:00
2005-07-06T16:57:33+09:00
t88manekineko
心理分析
スペイン語のganas (ガナス)は、日本語的には「やる気」に表されます。
選択理論においては、次のようにあらわしています。
「行き続けようとするこの強力な欲求」
そして、この言葉の意味については、こう表現しています。
・一生懸命な
・継続した取り組み
・生存するためにどんな犠牲でも払って何でもするという気概
・安全の確保
次のエントリーで、生存の要素を読んでいきたいと思います。
※余談
この選択理論も、もちろん訳されているわけですが、一生懸命という言葉ですが、あまり好きな言葉ではありません。
一生懸命、努力、がんばる、大丈夫、とりあえず、という言葉は、使用しません。
努力と一生懸命を、私は「真摯」、ときに「全力」と表現しています。
真摯・・・まじめでひたむきなこと。事を一心に行うさま。
全力・・・出しうる限りの力。すべての能力を出しきる。]]>
選択理論 人を動かすもの
http://lifegear.exblog.jp/2181829/
2005-07-01T20:36:15+09:00
2005-07-28T22:32:25+09:00
2005-07-01T20:34:42+09:00
t88manekineko
心理分析
たとえば、誕生して「泣く行為」というのがありますね。
言語をまだ使用できない段階です。
「生存するために遺伝的な欲求を満たす手段であるが、生涯にわたる他人をコントロールする試みの導入になる。しかし、これはほんの導入にすぎない」
年齢によって、「選択肢」は非常に狭いものです。
そうして、「泣くこと」、「ぐづつく」、「手足をばたつかせる」などのコントロールを目的とした行動は、成長と共に、効果がなくなりますよね。「買ってー。」と泣き叫ぶ我が子を説得した経験がある方もいらっしゃるでしょう。
そこで、自分で問題を処理することを学ぶのですね。
さて、人間の欲求段階説では、マズローが有名です。
グラッサー博士も、この選択理論で欲求のプログラムを述べています。
・生存 (身体的側面)
・愛と所属 (心理的欲求)
・力 (心理的欲求)
・自由 (心理的欲求)
・楽しみ (心理的欲求)
あらゆる行動の背後にある動機とは、この4つの心理的欲求を満たそうとする取り組みが、生涯苦闘を繰り返していくのですね。]]>
セオリー 3
http://lifegear.exblog.jp/2124592/
2005-06-24T08:25:30+09:00
2005-07-28T22:02:04+09:00
2005-06-24T08:24:12+09:00
t88manekineko
心理分析
左右されず、ご自分にもっとも適した理論を愛用してくださいね。
それでは、前回の外的コントロールによって、強制ではなく、交渉をすることが望まれるのです。
・外的コントロール
強制・無理強い・罰・報奨
あやつる・いばる・動機付ける
批判する・責め
文句をいう・ガミガミいう・うるさくい
格付けする・比較する
ひきこもることをやめさせる
さて、人と快適な関係を求めようとする人々と、人間関係とは無縁な快楽を追求する2方向の「不幸」があるのです。
そういった快楽を追求するグループに対しても効果があるのです。
・矯正機関に
・麻薬リハビリ・プログラムに
では、外的コントロールではなく、どのような行動を示すのでしょうか。
おもいやり・傾聴
支持・交渉
励まし・愛
友情・信頼
受容・歓迎・尊敬 なんですね。
つぎは、「第2章 人を動かすもの」にはいっていきたいと思います。
]]>
セオリー 2 principle
http://lifegear.exblog.jp/2114520/
2005-06-22T23:50:20+09:00
2005-07-28T22:00:56+09:00
2005-06-22T23:49:03+09:00
t88manekineko
心理分析
外的コントロールとは何でしょう。
簡単に説明すると、自分以外の人を動かすために、強制や統制をする手段を、自分の権利、義務、道徳責任であるという考えです。
「悪いことをしている人は罰すると、正しいということをするだろう。
その正しいことをする人々に報酬を与えれば、私たちが望むことをするだろう」
その外的コントロールの3つの信条があるとされています。
第1 外側から来る簡単なシグナルへの反応
・赤信号で止まる
(その他に、電話のベルに受話器をとる、玄関のベルにドアを開くなどがありま
すが、現代では、簡単なシグナルへの応答は、セキュリティ上、少なくなって
きていますね。)
第2 「したくないこと」を「させる」
自分がさせたいと思うことを、私が考え、行為し、感じることをコントロールできる
第3 「いうことを聞く」への賞罰
聞かない、できない人をばかにし、脅し、罰を与えへ、聞く、できる人への褒美、
報酬を与える。それが、道義(人としてふみ行うべき道。道徳。道理)的責任で
ある。
私は、この外的コントロールの外側から来る簡単なシグナルへの反応は、ケースを少し、アレンジした方がよいかなと思いますが、私達は、日常、このシグナルに応答して、日常を過ごしていることに変わりはありませんね。
この3つの信条(堅く信じていることがら:principle)が、日々どのようなことに使われているのかということを考えてみます。
第2は、親、教師、上司(組織)、友人関係などでよく使われます。
第3も、親、教師、上司(組織)、夫婦などでよく使われます。
友人関係については、選択理論では述べていません。
(ただ、苛め、虐めには、この外的コントロールが非常に強いです。)
つまり、相手に対して、相手が何らかの「罪悪感」をもつような仕組みなのです。
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セオリー
http://lifegear.exblog.jp/2110816/
2005-06-22T16:09:19+09:00
2005-07-28T21:59:36+09:00
2005-06-22T16:08:02+09:00
t88manekineko
心理分析
私たちが、自分の行為と思考のすべてを選択しているというお話は、前回でおわかりいただけているでしょうか。
感情のすべてと、ほとんどの生理反応の多くも選択していると書かれています。
気分が悪く苦痛を感じ、病気であるときに、体の中で起こっているものの多くを、自分が選択する行為や思考の間接的結果だということです。
つまり、不幸とは、私達は自分で認識しているよりも「自分自身をコントロール」し、それが、効果がないのですね。
さてさて「自分にとって何が正しいか」ですが、「何が正しいかを発見した人々」との出会いが、不幸であると本書で述べているわけですが、それは、強制することこそ「義務」と考え、「抵抗するやり方の選択」が最大の不幸の原因であるということを考えなければならないでしょう。
遺伝子に書き込まれたことと生活しながら学んだことを統合する術が、幸福への選択になるのです。
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セラピストが消えても、気づかないだろう
http://lifegear.exblog.jp/2094297/
2005-06-20T16:17:00+09:00
2005-07-28T21:57:53+09:00
2005-06-20T16:15:43+09:00
t88manekineko
心理分析
セラピスト
カウンセラーが
忽然と姿を消しても
誰もきづかないだろう
優れた精神科医ハリントン博士の
「精神科医が忽然と消えたとしても、世界はそのことにきづかないであろう」
のコピーです。
最近、精神、心理の活用や、その分野に関わる人が多くなってきました。
こういった方々のHPやブログなども、多く見受けられます。
共通しているのは、手法だけ、あるいは、こんなに幸せに、そして、自論ではなく、感想だけに止まっているように思います。
心理や精神を支配するためのような気がします。
そうではなく、そういった手法から、クライエントが考えて、選択して、はじめて解決すのです。
ですから精神科医ハリントン博士がおっしゃるように、これまでに、有名な心理学者や精神科方の講演やセミナーにおいてでも、この世の中が何かよい方向に変わっていっただろうか。否、何も変わらない。だからこの先。「彼・彼女」らが忽然と消えたとしても、世界はそのことにきづかないであろうというのです。
先日から、選択理論を紹介していますが、これが全てではありませんよ。いろいろな理論があるのです。
その理論の論拠を知ることによって、自分に適したものをチョイスできる情報提供なのです。
しばらくは、私とともに、選択理論にお付き合いください。そして、つぎの理論に移行します。
常々思うのは、ひとつの学派、流派だけを述べてはいけないと思うのです。
その学派や流派の手法にこだわるのは、たくさんの理論、手法からクライエント自身が選択することで、自分にあったスタイルにこだわれると思うのです。
さて、よく「多くの」という表現が使われています。
「多くの悩みは・・・」
「多くの女性は・・・」
などとよく聞きますね。
本当に、「多くの」なのでしょうか。
あらゆる使いやすい言葉を使い、選びやすい言葉を選ぶために、本当の自分の考えや、悩みが一般化される言葉によって曖昧になってはいませんか。
T・kのディキャリアで、「あなたの心」は、ちりん、それともちりちりなどという文が載っていたことがあります。
心の響きもこのようにして「音」がちがうのです。
今日、livedoor carrer counselingは、久しぶりに更新。
そこには、「たんぽぽのお酒」から、主人公ダグラスの心境が・・・
ダグラスが人間に対して、あてにならない項目を列挙します。
(livedoor carrer counselingのダグラスのメモをまだ読まないで!)
読んでいる方が、まず「人間に対して、あてにならない」と考えたことがあるでしょうか。
そしてその理由は?
それからlivedoor carrer counselingにリンクしてありますので、ぜひ、あなたの記録とダグラスの記録が一致しているか、読んでみてくださいね。
]]>
「私-わたくし-」 T・Kのディキャリアから
http://lifegear.exblog.jp/2078509/
2005-06-18T17:57:34+09:00
2005-07-28T21:55:45+09:00
2005-06-18T17:56:15+09:00
t88manekineko
ライフスタイルバランス
今日は、長文になるので、読む側の方が、ここは読まなくてもいいわ、というところ、どんどん飛ばしてくださいね。
人間が困難に立ち向かい、乗り越える知恵と勇気がテーマです。
人権問題と同和問題をご存知の方が多いと思います。
人権問題はいったい誰のための問題なの?
マクロ的範囲で考えると、グローバルな見解として、多文化・多民族社会化が挙げられます。
前回の「それでも人生にYESという」は、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)について、フランクフルをフォーカスしました。
人間が困難に立ち向かう、極限状態です。
ユーモアで恐怖を克服し、その問いの観点の変更を実践したフランクフル。
「なぜ、この状況がわたしを悩ませるのだろう」と考えるのではなく
「この状況に、私が置かれている意味とは何か」と考えるのです。
ミクロ的範囲で考えると、「アタックNO1」を思い出してください。
現在、放映中のTVではなく、原作にそって、お話を進めていきます。
主人公「鮎原こずえ」は、自己主張がはっきりしています。
原作者は浦野千賀子さん。
高校生で全日本チームに抜擢された「鮎原こずえ」は、圧倒的なベテラン選手との力の差に、こんな手紙を書いています。
チームのみなさんは、練習中は厳しくて、わたしなどはいるすきまもなく
大きなへだたりがあり、悲しく思うときがあります。
しかし「鮎原こずえ」は、レギュラーにくいこむまでは負けないと深夜に練習をはじめるのです。
そんな「鮎原こずえ」に、松山キャプテンが問いかけます。
「なんのためにそこまでするの」と。
「なぜって、誰でもレギュラーの座につきたいと願っていると思いますけど」
「それは単なる1チームでの話よ・・・・・・・・
誰が上で、誰が下だというせまいきまりはないわ
・・・・・・・・・もしこの中で、ベスト6をきめ
それに入ったからといってなんになるの
・・・・・・・・・それとも常時出場して
かっこいいところでも見せようというの
・・・・・・・・・・わたしたち全員重要なメンバーであり
全員がレギュラーなのよ。あなたも、その一員よ。」
鮎原こずえは、「申し訳ありません」といって
個人的な欲だけに走って・・・と反省するのです。
実は、人権をどう学ぶのかというのがここにあるのです。
客観的・公平な結論を導き出す松山キャプテン。
そして、鮎原こずえのアイデンティティの確立があるのです。
この時期は、「自分さがし」の時期です。
自分が誰なのかを知ることを、自我同一性(アイデンティティ)を確立すると言います。
中・高生または大学生のころをさす、青年期です。
自分は惨めで、ダメな人間だと感じてしまう
それはアイデンティティの確立ではないのです。
社会の関わりの中で身につける自分の役割、自分自身の価値についての確信
それがアイデンティティの確立なのです。
人間は誰でも欠点をもっています。
欠点は人間失格なのでしょうか。
それでも自分は価値のある人間だという
自尊感情(セルフ・エスティーム)をもつことです
プライドという言葉には、自尊心、誇りなど
いろいろな言葉があてはまります。
ただ、自尊心に傷がつくことだけのこだわるのは、
自尊感情(セルフ・エスティーム)ではないですね。
こんな私でも
「かけがえのない自分自身」であることを発見する
誰かのために、役に立てる。
誰かのために、自分のために
違い(差異)を認め,受け容れる能力は、
自尊感情(セルフ・エスティーム)と比例すると思うのです。
人権とは、社会としても個人としても、じつは身近な、重要な問題です
アイデンティティの確立は、青年期です。
その青年期にいたるまで、幼児、児童期を経て確立されるものなのです。
ですから、はやいうちにアイデンティティの確立を目指したいと考えても
ちいさなコップに、たくさんミルクを注ぎ、溢れてしまうのですね。
成長って不思議です。
ちゃんと神様は、みています。
みんなに公平に、しあわせと不幸をわけてくださる。
不幸を知らなければ、幸せを知ることはできません。
人間が耐えられる肉体、精神、年齢によって、時期をみて与えてくれるのですね。
ところが、虐め・苛めやモラトリアム、失業者、圧政・迫害など
さまざまな人権問題も生まれてきているわけです。
これから成長されるお子様のお母様方が、まず人権を学び
アサーティブネス(assertiveness:意見を聞き,議論し,否定せずに自己主張できる能力)で
どんな状況であっても、正しい方向に一歩進める時間(期間)を与えてあげて下さい。]]>
新しい生き方
http://lifegear.exblog.jp/2069412/
2005-06-17T16:57:49+09:00
2005-07-28T21:53:52+09:00
2005-06-17T16:56:23+09:00
t88manekineko
心理分析
たとえば、管理職にはボス・マネジメントではない、リード・マネジメントを、この選択理論から実践していますし、学校においても、家庭においても、実践できるわけなんですね。
その「選択理論」の第1章の新しい生き方に、
「君といっしょにいるとおかしくなる・・・・・。
あれは頭にくる・・・・・。
こちらの気持ちを思いやる気はないのか・・・・・。
君は僕を怒らせた。僕は冷静になれない・・・・・。」
つまり、自分が文句を言っている不幸を
自分で選んでいるということなど、
頭をかすめることはない
みじめな感情も含め、自分たちの行動のすべてを自ら選んでいるのだ
他人が私たちをみじめにしたり、幸せにしたりするのではない
そういう概念から選択理論が生まれました。
私は、いつもこの文章を読むだけで、ホッとします。
いまこのときを「最高に幸せ」と思うのもひとつの選択であるのだから
そう思うことにしているわけです。(勝手にね)
ちなみに、この選択理論は571ページです。
いつも途中で挫折します。
このブログをとおして読破します。
この記事を読んでくださる誰かといっしょに。
また、トラックバックにはリードマネジメントについての記事。
興味のある方はぜひお読みください。]]>
Quality of Life
http://lifegear.exblog.jp/2059633/
2005-06-15T16:32:38+09:00
2005-06-15T16:27:38+09:00
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t88manekineko
ライフスタイルバランス
純科学的見地からみた判断と、患者の日常生活精神面から見た広い視野からの判断のと間に、大きいギャップがあることが問題で、sense of well-being(改善感)、身体症状、性機能、労働意欲、感情状態、認識能力、社会的活動、生活の満足感が、評価の項目に挙げられています。
ナレッジ的な側面からみると、Q0Lはワークスタイルとライフスタイルという自論があります。
産業革命以後、世界の働き方は、ずいぶんと変化してきました。
ホワイト・カラー、ブル・カラーなどと、机上と現場のワークスタイルのちがいによって、クラスの区別があります。
それが、スペシャリスト、ゼネラリストという言葉に置き換えられているのが現代です。
さて、「一般」の私が、自らの生活に変化を感じているのは、IT革命後、ワークスタイルの、技能や方法が変化し、組織の動向や雇用形態や賃金など含めて、実際に体験しているわけです。
ところが、産業革命では、「蒸気機関車」や「建築」など、「一般」の生活が一変してしまったわけですね。
IT革命は、じょじょに浸透しているため、というより、実際には急速に発展はしているのですが、スーパーのレジが、「人(レジ係り)」がいなくても会計が済むだとか、自治体の窓口がコンピューター化になり、「人」が不在でも、区役所での手続きは、自動販売機のように簡単で、どこにでも設置が可能になるなど、日常の生活スタイルがガラリと変われば、それを意識できるわけです。
ところが、「一般」が、感心したり、満足する「革命」ではなく、(産業革命でも、過重労働が市民を圧迫)リストラがあり、事業所の閉鎖があり、少子高齢化にいたっては、結婚によるリスクのために、独身のスタイルを選択する。
ライフスタイルの選択肢がひろがったと云われていますが、正社員から契約社員になり、賃金も低下。そうすると、同じ賃金なら、より短く、自分の趣味や、日常に時間を使ったほうが、マシという選択肢も増えてくる。
決して満足できない状況で、いくつもある自分の「欲求」のなかで、手に入れやすい方法、あるいは、欲求の期待値の水準を下げたり、目的を自分なりに、「理由」をつけて納得するため、個人の期待する選択肢が多くなったわけではないということです。
Quality of Lifeは、生命の質、生活の質という意味です。
医療、福祉の評価法の項目が、そのまま日常にも当てはまるのです。
「質」という測定は、期待値をクリアできる「知恵」と「生き方」が、高めていくのでしょうね。
私の期待値水準と現実のギャップが大きく、こころは悲鳴を上げています!]]>
ライフ・スタイル・バランス
http://lifegear.exblog.jp/2051616/
2005-06-14T17:08:15+09:00
2005-06-14T17:03:17+09:00
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t88manekineko
ライフスタイルバランス
2日前の投稿に、昨日コメントがありました。
「食」にかかわるモラル・ハラスメントの記事ですが、私は、「作る側」も「食べる側」も、両方が「被害者」であるとの思いで綴りました。
・コメントから
ただ「マズイ」と言う言葉は我が家ではご法度です。
それは、作った人や食品に対する礼儀として。
それと周りの人の気分を害する恐れがある言葉だからです。
これこそ、人としてのマナーだと思うのですよ。
「食」にかかわらず、「職場・学校」や「友人・知人」から「家庭」まで。
「周りの人の気分を害する恐れがある言葉」こそハラスメントなのですよね。
ですから、ハラスメントってストレスや妄想からだけでなく、マナーという形式が何から生まれたのかということを知らないからですね。
それは、周囲を不愉快にさせないということではないでしょうか。
それが、ライフ・スタイル・バランスの、「自分」への気遣いのつながると考えます。
また、「食品」に対する礼儀とありましたが、これこそ「おもてなし」のココロです。
「おもてなし」とはあらゆる人やモノを丁重に扱うということですよね。
コメントのりんりんさんは、「食」に関わるお仕事をお持ちなのでしょうか。
なぜか、「誇り」をもっている人という印象を受けました。]]>
それでも人生にYESという
http://lifegear.exblog.jp/2043164/
2005-06-13T17:18:44+09:00
2005-07-28T21:52:23+09:00
2005-06-13T17:16:40+09:00
t88manekineko
心理分析
高野悦子、原口統三、アンネ・フランクがつづいて登場する。
そして最後の一行に、「それでも人生にYESと言う 」著者V.E.フランクルが・・・
V.E.フランクルもアウシュビッツの収容所で過ごした極限状態の体験。
T・Kのディキャリアの最後の一行から、はじめたい。
精神医学者であったフランクルは、妻子を殺され、極限状態を体験しています。
彼は恐怖をユーモアで克服した人ですが、著書の「夜と霧」は、たいへんリアルに虐殺の状況を語っています。
「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」
つまり、「なぜ自分はこの境遇にいるのだろうか」ではなく、「この境遇にいる意味は?」ということなのです。
その問いの観点の変更、コペルニクス的転回が必要だといっています。
それにしても、アンネ・フランクのあの叫び。
あの言葉。興味のある方はT・Kのディキャリアを訪問してください。]]>
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